2012年4月23日月曜日

R to S 第69話 「入学」

連続での投稿です!

このたび無事、急性期重症者支援課程に入学することができました!
ありがとうございます(笑)

これから約9ヵ月間、新しい30人の仲間たちと同じ目標に向かって勉強に励みたいと思います。
みんな個性的で、やる気があって、優しくて、本当にいい仲間だと思います!

9ヵ月間、学んで、飲んで、笑って、ときどき挫折しながら頑張りたいと思います。

宜しくお願いいたします。


とっても狭いアパートですがぜひ遊びに来てください!笑

R to S 第68話 「復興への軌跡②」

前回の投稿から1カ月以上が経過してしましました。
会津にもやっと遅い春がやってこようとしています。
桜は今週末が見頃になりそうです。

2011.3.12
ようやく震災の被害状況が分かってきました。
想像を絶する被害です。
当院のある会津地方は大きな被害はなかったものの、同じ福島県でも沿岸部の浜通り地方は地震による津波で甚大な被害を受けていました。

浜通り、中通りの被災した病院から、次々に患者さんがピストン搬送されてきます。
救急車、自家用車、マイクロバス、ヘリ…
非常に混乱した状況でした。

その中で忘れられない出来事がありました。
同じ看護師として本当に感銘を受けました。

その患者様はいわき市のとある病院で震災の前日、3月10日に冠動脈バイパス術を受けられました。
そして手術翌日…ICUのベッドの上で大きな揺れを経験されたそうです。
天井の照明がチカチカをついたり消えたりして、建物がうなり声をあげていたをおっしゃっていました。
その時、その病院の看護師たちは患者様の手を握り、覆いかぶさるようにして患者様を守ったそうです。
大きな揺れで恐怖を感じているとき、なかなか出来る行動ではありません。

しかし、小生が感銘を受けたのはそれだけではありません。
一番驚いたこと、それは看護記録です。

震災発生が14時46分
その看護記録は14時55分から転院となった3月11日の夕方まで
事細かに患者様の状態の変化、アセスメント、薬剤投与や酸素条件の変更などが書いてありました。

地震発生からわずか10分で…
状況が混乱している中、パニックを起こさずに看護を続けた誇り高い看護師たちの記録がそこにありました。

正直、小生は亡くなった人の多さに絶望し
自然災害を前にして、看護師の無力さに打ちひしがれていたような時でした。

しかし、その患者様を受け持ち、看護記録を読んだ瞬間
「自分の使命はこれ以上犠牲者を増やさないこと、救える命を救うこと」
「自分のやるべき仕事、やれる仕事を全力でやること」
だと自覚し、この1年間、自分なりに震災に立ち向かってきたつもりです。

この後に原発は水素爆発を起こし、福島県の広い範囲が被曝した事実が伝えられました。

小生は政治家でもなければ、原子力の専門家でもありません。
莫大な資産を持っているわけでもありませんし、震災で多くのものを失った方々に何かを与えてあげられるような人間でもありません。
現状を変えられる力はありません。


でも、小生は福島県で生まれ、福島県を愛している看護師です。
だから、この福島県のために全力で看護をすることが小生のできる小さな復興だと考えています。

書きたいことは沢山あります。しかし、拙い文才ではみなさんに多くのことを伝えられません。

この震災はたくさんの悲しみ、絶望、怒り、憎しみを生みました。
しかし、その一方で多くの方々に愛をもらい、喜びを共有し、絆を深めることもできました。

戻らない過去を嘆くより、変えられる未来を強く生きていく。
今、小生はそう思うのです。

支援してくださった日本全国の方々、全世界の方々に心から感謝いたします。
ありがとうございました。

そして、亡くなった方々、被災された方々にご冥福と、一日も早く安寧した毎日が訪れることを強く強くお祈りいたします。

今回の亡くなった方々の中には看護師の仲間もたくさんいたことでしょう。
目指していた看護、目指していた夢・・・たくさんあったでしょう。

生き残された私たちは、亡くなった看護師の方々の意思を引き継いで
よりいっそう質の高い看護をしていかなければと思います。





会津に春の強い風が吹きました。
暖かく、力強く私を吹き抜けたその風は、
たくさんの仲間たちが背中を押しているようでした。