2012年3月6日火曜日

R to S 第67話 「復興への軌跡①」

3月に入り会津の雪もだいぶ溶けてきました。
家の前の道路にもほとんど雪はありません。
当たり前のように来る春の訪れが待ち遠しくて仕方がない今日この頃。

去年の今頃も同じように
当たり前に来る春に心を躍らせていたのでしょう。

3.11

東日本を襲った未曾有の大震災。
それまでの当たり前が、当たり前ではなくなりました。

津波、放射能・・・
様々な問題が、今も継続しています。

少し長くなりますが、この一年間で小生が感じたことを少しずつ書いていきたいと思います。
願わくば、この小さな祈りが震災で亡くなられた方、心や体に大きな傷を負った方々の鎮魂と救いになりますように。


3.11
小生は夜勤入りでした。
昼食を済ませ、13時頃、2階の寝室で布団に入りました。
ウトウトし始めた頃
14時46分
最初はゆっくり、徐々に大きく家が揺れ始めました。
しかし、新築で耐震工事もしてあった小生宅は、物が倒れたり壊れたりすることもなく
揺れ自体もそれほどのものとは感じませんでした。
なので、しばらく布団の中にいました。

15時頃
揺れが収まり、しばらくして今の地震の情報を得ようと1階のリビングに行きテレビをつけました。
最初に目に飛び込んできたのが宮城県を襲う津波の映像でした。
身体の中から込み上げてくる言いようのない恐怖に襲われました。
保育園の息子の安全を確認したとき、
病院は大丈夫なのか、これから病院に患者が殺到するはず、そう思いました。
すぐに着替えを済ませ、妻に短いメール
「地震大丈夫?子供は大丈夫。病院に向かいます。また連絡します」
メールを打つ手が震えていたのを覚えています。
病院に向かう途中、近所の神社の鳥居が倒れているのをみました。
病院の駐車場に着いたとき同期から電話がきました。
「病院に向かいたいが家の前の道が壊れて行けない」と。
少しずつ、そしてやっと、被災したのだと感じ始めていました。

病院に着くと多くの外来患者さんとスタッフが総合受付のあるロビーに立ち尽くしてテレビの地震の情報を見ていました。
病院自体にはなんの被害もありませんでした。

ICUにつくとすでに私服の後輩達が4名ほど来ていました。
彼らはみんなで昼食をとっているときに地震が起き、そのままICUに来たということでした。

ICUに行き、全ての患者さん、全ての医療機器に問題ないことが確認でき安堵しました。

ICUの休憩室で夕食をとりそのまま夜勤へ。
夜勤中も何度となく余震が起きました。
その度にICU看護師は患者さんに声をかけ、医療機器を点検し、眠れない夜を過ごしました。
このときはまだ、福島原発が危険な状態だとは知る由もありませんでした。